自転車乗ってちょっとそこまで。
ちょっとそこまで。チャリン、チャリン。
自転車漕いで。チャリン、チャリン。
夏は暑く、冬は寒い。
そんな当たり前のことを当たり前に感じながら。
そんなに遠くまでは行かないから、スピード出なくても電動付きじゃなくても大丈夫。
自分の足でしっかり漕いで。チャリン、チャリン。
夏なのに涼しくて、冬なのに温かくて。
坂を上って下って、曲がり角をうねって。
やたらと信号に引っかかって、あたりを見渡して。
探しているものは見つからないけど、いろんなものがそこにはある。
いつもそこにあることが、いつもそこにあるものが、新たな発見のようにからだに染み込んでいく。
自転車漕いでいたら風を浴びるように。
チャリン、チャリン。
少しずつ近づいていく。
チャリン、チャリン。
ちょっとそこまで。
チャリン、チャリン。
君に会いに行こう。
チロルチョコ、見いつけた。
洗濯機に入れる前にポケットの中を確認する。
もしティッシュが入っていたら、悲惨な状態になるから。
ゴソゴソ手を突っ込んで右ポケットの中を探る。
すると手に何かが当たった。
それを握って取り出したら、100円玉だった。
なんだか得した気分。
元々、自分のものなのに得した気分。
少しだけ期待を膨らませて、左ポケットの中も探る。
すると、また手に何かが当たった。
100円玉ではなさそう。
握って取り出したら、チロルチョコだった。
少し溶けて形が崩れた、チロルチョコ。
右に100円玉、左にチロルチョコ。
手のひらに収まる、小さな幸せ。
100円玉一枚あったらチロルチョコ何個買える?
そんなしょうもないことを考えてしまう。
それほどまでに、小さな幸せ。
賞味期限はいつまでだろう。
いびつなチロルチョコをじっくり見つめる。
ポケットに忘れていた100円玉が入っていたら、なんだか得した気分。
ポケットに忘れていたチロルチョコが入っていたら、どうだろう?
きっと食べない。
でもそれは、いつ買ったのかわからないときに限る。
思い出した。
このチロルチョコは、3日前に買ったもの。
賞味期限はまだまだ大丈夫。
形が少しくらい崩れていたって大丈夫。
早く食べなくちゃ。
この幸せの余韻が残っているうちに。
チロルチョコも幸せも。
賞味期限が切れる前にしっかり味わって、いただきます。
山ほど買ったファブリーズの使い方。
あなたの匂いを消すことにした。
いろいろ迷ったけれど、私の決心。
見えなくなったとしても残る、あなたの匂い。
そのたび、あなたを思い出してしまうから。
私にとっては甘い香り。
ほかの誰にもわからない。
あなたが居たところにも触ったところにも、すべて吹きかける。
部屋の隅々に、持っている服すべてに。
クローゼットの中は、すっかりあなた色に染まってしまった。
あなたに喜んでほしくて買った服ばかり。
あなたのために、私のために。
捨てる決心なんて、できやしない。
あなたのせいで、私の好みも変わってしまった。
あなた好みだった服は、今では私好み。
服に罪はない。
あなたにも、私にも。
だから、せめて、あなたの匂いを消す。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
あっちもこっちもあれもこれも、吹きかける。
シュッシュッ、シュッシュッシュッ。
リズムを刻んで吹きかける。
あなたを忘れることは、きっとできないから。
ありとあらゆるところに吹きかけたあと、私は思い切り息を吸う。
うん、大丈夫。
そう言いながら、息を吐いてもう一度吸う。
あなたの香りはなくなった。
目を閉じ両手を広げて、背伸びをする。
思い浮かんでくるあなたの顔は、笑っていた。
ニベアクリームの香りは大切な人の香り。
アベさんの手、いい匂いがするね。
カオリは鼻をくんくんさせる。
そう?
うん。それに手もキレイ。
そう?
アベは思わずニヤつく。
香水つけてる?どっかで嗅いだことのある匂い。
カオリはもう一度鼻をくんくんさせる。
つけてないよ。
アベが手を差し出すと、カオリはすっと握った。
ちょっと買い物してもいい?
アベは道路の向こうを指差す。指の先にはドラッグストアがあった。
いいよ。
カートをゴロゴロさせながら、アベは洗剤やら調味料やら食料品やらお酒をどんどん入れていく。
いつもここで買うの?
カオリはカートに乗ったカゴとアベを順番に見る。
うん。スーパー行けないときは。ポイント貯まるし、けっこう安いよ。
料理も洗濯も掃除も自分でやるもんね、アベさん。
まあ、ひとり暮らしなら誰でもするよ。
そうでもないよ。
カオリは少しだけ俯いた。
これからは私がちゃんとやるから。
カオリはアベの腕を強く掴んだ。
ありがとう。俺もちゃんとやるから。あっ、そうだ!もうひとつ。ちょっと待ってて。
アベはカートを置いて、小走りでどこかへ向かい、すぐに戻ってきた。
これこれ。
アベの手にはニベアが握られていた。
さっきいい匂いって言ってくれたでしょ?きっとこの匂いだよ。
そうなんだ。なんか懐かしいね。ウチにも昔あった気がする。
我が家はずっとこれ使ってるんだ。乾燥したときとか水回りで手が痛んだときとか。アベ家はみんな、これ。
アベは持ってきたニベアをカゴにいれ、バッグから使いかけのニベアを取り出した。
嗅いでみて。
アベはふたを開けてカオリの目の前に差し出す。
いい匂い。それに、懐かしい。
だろ?アベ家のハンドクリームはずっとこれ。
へえ。
カオリもこれ使ってよ。きっと気に入る。そして、今日からアベ家の一員だ。
アベはクリームを少し指先に乗っけて、カオリの手の甲につける。
カオリは大きく頷いた。
少し先の未来をカーブミラーで見る。
君がいつも通る道で待ち伏せ。
偶然出会ったフリをして君を驚かせよう。
風が強い。手が冷たい。
君はなかなかやってこない。
いつもならとっくに来ていてもおかしくないのに。
君の身になにかあったのだろうか。冷えた手に息を吐きかける。
隠していた身を乗り出してあたりを見渡す。
君の姿は見えない。
なにやら胸騒ぎがして、ポケットからスマホを取り出す。
君の連絡先を開いたところで、君の姿が見えた。
急いで陰に身を寄せる。
胸騒ぎは落ち着いたけれど、君の驚く顔を想像したら違う胸が騒ぎはじめた。
君が近づいてくるたび鼓動は高鳴り、からだはあったまってくる。
なにしてるの?
君はいつもどおりの表情と声色で言う。
君の前に急に現れたのに、いつもどおり。
少しも驚いた素振りを見せることなく。
ずっと見えていたよ。
君はカーブミラーを指差す。
いや、別に。
僕が言えることはこのくらい。
苦し紛れに笑ってみると、君も笑った。
少し先の未来さえも見えない僕が、いつまで君と居られるのかなんてわかるわけもない。
だから少しだけ。
ほんの少しだけ、君の前を歩くことにした。
君と一緒に居られる時間を少しでも長くするために。
風は冷たいままだから、君に手を差し出した。
ひと手間ふた手間かけた愛情をポストに。
お元気ですか?
私は元気です。
久しくお会いしていませんが、いかがお過ごしでしょうか?
便りがないのは元気な証拠と言いますが、それでも元気にしているのか心配しているのです。
風邪などひいておりませんか?
仕事は順調ですか?
しっかりごはんは食べていますか?
しっかり睡眠はとれていますか?
たまには、あなたの声を聞かせてください。
たまには、あなたの姿を見せてください。
たまには、あなたの心がこもった文字を見せてください。
たった一行でも。
たった一文字でも。
なにも特別なことは必要ありません。
元気だという便りを待っています。
きっと届けます。
あなたの大切な人に、あなたを大切に想っている人に、必ず。
乾燥機の音と匂いと思い出と。
ぐるぐる回る。
音を立てて、右へ左へと回る。
乾燥機の無機質な機械音が響く。
乾燥機の音も匂いも好きなんだ。
はじめて会ったとき、僕は君にそう言った。
私も。
君は笑ってそう言った。
機械音をかき消すように語り合い、ここに来る日時を合わせて別々の洗濯物を持ってくるようになってから、ふたり一緒にふたり分の洗濯物を持ってくるようになるまで、そう時間はかからなかった。
ぐるぐる回る。
乾燥機も時間も、ぐるぐる回る。
ぐるぐる回る。
そしていつかは止まる。いつかは終わる。
僕は今でもこの音と匂いが好きだ。
君はどうだい?
止まった乾燥機から洗濯物を取り出す。
君のものはひとつもない。
ぐるぐる回って、止まって、また回す。
機械音は無機質なのに、どこか温かい。
取り出した洗濯物くらい、温かい。
ココアがつなげる過去の記憶と未来の記憶。
冬の夜はやっぱり寒い。
こたつに入っても、まだ少し寒い。
暖房入れようか?
僕の右側に座る君に言う。
ううん、あったかいよ。
君は座椅子にもたれかかる。
大丈夫?
うん。
君はこたつから出て、キッチンへと向かう。
僕は両手をこたつの中に入れ、手と手をこすり合わせる。
寒がりな僕は、まだ寒い。
はい、これ。
君はこたつの上にココアを置く。
懐かしい。子供の頃はお袋に作ってもらってよく飲んだよ。
僕はココアの香りを嗅ぐ。
でしょ?このあいだ買ったんだ。なんか懐かしくて。
君はそう言いながら、こたつに潜り込む。
最近は全然飲んでないな。あんなに好きだったのに。
目を閉じると、あの頃の香りのまま。
私も。
君も顔を近づけて目を閉じる。
あの頃は毎日のように飲みたいと言っては、毎日のように作ってもらっていた。
甘い香りが部屋に充満する。
あの頃の記憶がいくつも蘇る。
家族の味、だな。
ココアを一口飲んで、僕は言う。
なにそれ?
君は笑う。
もう少ししたら、また毎日のように飲むようになるかもな。
まだ早いよ。ねえ、一口ちょうだい。家族の味。
君は両手でマグカップを覆う。
美味しい。
君は笑う。
僕も笑う。
すっかり大きくなった君のお腹をさすりながら、ふたりで笑った。
野菜生活と俺の生活。
ベジタリアンどころか野菜不足。
そんな俺の食生活。
手作り弁当はいつも茶系でまとめられている。
そんな俺の自炊生活。
節約も兼ねての弁当生活。
ひとりランチはいつもデスクの上。
誰に見られるわけでもないのに、誰かに言い訳しているかのような一片のバランが砂漠の中のオアシスのよう。
少しは野菜も摂らないと。
そう言いながら、君がデスクの上に置いてくれた。
素っ気ない言い方だけどやさしい目。
君も弁当生活。
俺のとは違って色とりどり。
見た目も味もベリーベリーグッド。
じゃあ俺のも作ってよ。
そんなこと言えるはずもない。
そんな勇気、出せるはずもない。
一口ちょうだい。
そんなことすら言えない。
そんな勇気すら出せない。
そんな俺の独り言生活。
ありがとう。
ありったけの勇気を振り絞っても、そんなことくらいしか言えない。
俺の孤独な生活に彩りと栄養を与えてくれる、野菜生活と君に感謝する。
炬燵と大人な因果関係。
私の魅力がわからない人なんているのかしら?
自惚れているわけじゃない。
ただ、そう思うだけ。
人だけじゃない。
猫だけでもない。
犬だって、そう。
喜び庭駆け回ることなんてさせない。
誰だって、私の虜にしてみせる。
いつだってあなたの片想い。
あなただけが私とずっと一緒にいたいと思うの。
でもあなたが私と一緒にいたいと思えば思うほど、私はあなたに冷たくする。
程よい距離感を保つ。
くっついたり離れたり。
あなたの意思でやっているようで、実は私が主導権を握っている。
熱くなったり寒くなったり。
あなたはいつだって私の懐の中。
冷たくなんかないよ。
冷たく感じたら、また私のところへ戻ってくればいい。
私はなにも変わっていないのだから。
ずっと一緒にいたら。
私の腕の中で眠ったら。
あなたは風邪をひいちゃうから。
私はなにも変わらないけれど。
それが私のやさしさ。
それが私の温かさ。
片想いのようで両想い。
あなたが大人なら。
そのくらいわかってよね。
大人の関係って響き。
なんだか素敵じゃない?
みんな憧れるでしょ?
だから、みんな私に夢中になるの。
私の魅力がわからない人は、まだまだお子ちゃまね。